アンティック・古玩


古玩の思い出、寿命、楽しみ。大分辛口の話で恐縮だが私事の感想をチョイと書いてみようと。

最近この10年、全く輸入していなくてあまり資格はないが、どのくらい寿命があるのかということを思い出しながら書いています。
まあ20年前の昔話だと思ってご意見無用でお読み捨てください。

多分オーディオは塗装と修理の連続なので古いものは本当によく壊れていく。20年前ならともかく今高くなったWEの41、42等は本当によく部品取りにした。
起こす場合は二個一、三個一は当たり前で現在のショップのようにトランスの巻き直しはしないから、本当に壊れた部品は捨てていた。当時、41と42で800ドル位だったからバラバラにしても本当に儲かった日が続いた。楽しい思い出である。
42アンプはインターステージが壊れていても他のトランスが生きているから、最低3、4倍にはなったものである。41アンプが来ると恐慌で生きているものがインプットとチョークしかない。インプット5万円、チョークを2万円ソケットはついていればいいが、ついていないのが多かった。ソケット抵抗を3000円で売ってようやくペイ出来る位であった。
当時このアンプより古いナンバーは、ラジオだと思っていたので今のような盛り上がりを見せることはなかった。特に41アンプのボリュームと42アンプのインプットは必ず生きていなかった。よく20年前には42アンプのインプットにトライアドのインターステージを入れたことを覚えている。
当然その場合は、お客もそんなもんだろうと納得してくれていた。私は知らなかったが、トランスの修理をオリジナルのコアで巻きなおしてくれる人がいることを知らなかった。コールタールが詰まったケースから掘り出して接着剤で固まっているトランスを、1枚1枚剥がして同じようにコイルを作って巻き変えてくれるのである。
この大御所のトランス屋さんと知り合って4、5年経つが、それまではそんなことを出来るということを信じていなかったから、もっと昔に知り合っていれば大分儲かっただろうと思うが、ポリシーとして壊れたものは捨てるので、今迄人に頼まれた修理のみ思い出す限り15点位はお頼みした。
約、大御所のO先生15年間1日に1、2個は修理したと言うから、世の中には2、3000個は彼の手になった物が残っていると信じているのである。
当然この場合日本製のワイヤーで直されるからオリジナルですよと言う声も怪しいものである。
1度に40個も来る黒いトランス、1番切れる○型のラインアウト、トライアドのラインアウト、ピアレスの角のケース、世の中にオーディオソムリエ(真贋鑑定家)という商売があれば繁盛するんじゃないかと思う。
ともかく修理は難しい。
オリジナルがオリジナルがと言うから満足に修理ができない。せめて1年位はもつように修理をしたいがその場合、相当の部品の入れ替えを覚悟しなければならない。マッキンのプリなら20年前でも必ずラボに入った修理シールが3、4枚は付いていた。
当然皆故障するわけだが、なんとか愛情でカバーしてほしいものであろう。納得できないかもしれないが、古い真空管等を売った場合、案外いやな思いをする。今迄で1番悪い例だが、当方のとこで買った真空管がその当日に夜死亡。品物はPX4であったが、当日調子よく鳴っていて気に入って買ってもらった。彼の場合、同じ真空管が死ぬのは4本目だからクレームはなかったが、せめて1ヶ月はもってほしかった。
まぁ、某オーディオショップが売った200万の黒いアンプが1日で爆発して裁判になった例があるというから愛情をかけてあげないと臍を曲げる。この場合、このアンプは女王様かな。お客さんにも惚れた弱みがある。
私の作ったキットアンプも電解コンデンサがパンクしたことがあるので、個人的に古いコンデンサの信頼度順に並べると、1位がスプラグ、2位がコーネル、3位がアイロボックス、最後にマロリがくる。五十嵐先生ごめんなさい爆発して。
私のキットのアンプで1番売ると怖いのは91アンプのレプリカで、ねじ止めコンデンサが1番弱い。尤も1930年代に新品で出たオリジナルでも1年絶対もたなかったと思う。初期不良が多くて、案外困り果てたアンプの代表格じゃないかと思っている。でも、長く使われたのは確かで、2次大戦位まで使われたようである。カーキ色のものを随分見かけた。

真空管の交換について。
サンフランシスコの映画システムのサービスマンのポール曰く真空管は1ヶ月または500時間で全部新品に換えていたそうである。戦後場末に流れたものならわからないが、現役時代なら多分そうだろう。絶対音が止まってはいけないプロの世界なら当然だと思っている。しかし個人的に自分で使う分には10年位使えないとね。
実際に10年もつ真空管はいくらでもある。特にラジオなんか50年前のものが平気で鳴る。
理論では100万時間使ってもまだエミッションが残っていると書いてある本もある。条件が違うので何とも言えないが、1941年製造のGE製211を後生大事にとっておいた。1年前に15年ぶりに開けたところ、3、4割が空気管になっていた。けちはだめだめ。

アメリカのラジオクラブ
メンバーのほとんどが引退した年寄りだったが、ほとんどの人が技術者だったのか古いラジオを愛でるクラブが各州にたくさんある。カリフォルニアかシカゴが1番多いと思うが、随分おじいちゃんから真空管を分けてもらった。ほとんどが趣味の1930年までの古い真空管だったが買ってきて6、7割は生きていた。大体の真空管が5ドル以下で買えたのでよく荒らしをやった。それでも18、9年前には悪いなと思ってブローカーから買うようになった。
最近フィールドコイルのスピーカーが流行っているようなので私としてはやめてと言いたい。ちなみに儲かった一例、ある日メイン州から手紙が来て真空管を手放すから遊びに来いと言われ行ったところ、40cm角のダンボールいっぱいのWEの球をもらった。300Aが10本、205が20本、274のナスが5、6本その他大勢大勢が入っていた。彼は湖のダムの脇に住んでいて趣味は発電だった。すごい人が世の中にはいる。当然日本円でミリオネアになったことは間違いない。日本円で。
その帰り、1000km走ってシカゴのラジオクラブのミーティングに約束してあった101Fの丸球を100本買った。それを9000円で売ったところ、飛ぶように売れた。20年前は幸せな時代だったのである。

昔話のWE86アンプ
カリフォルニアのデビットが随分集めてくれたせいで20万で売っても相当な利益が出た。ただこのアンプ、問題はアウトプットで間違いなく必ずB電圧がスピーカー端子にもれる。10台以上は売ったがスピーカーのターミナルを必ずアースに落としておいた。最近随分そのトランスをO先生の所で見かけるから60年も経ったものは生きているほうが少ないだろう。
まぁウエスタンの場合オリジナルでも本物は少ないから、トランスの引き出し線のハンダが見た目新しいものとターミナルのハンダを付け替えてあるものは注意してみた方がいい。欲しい人はできるなら15年以上もち続けている個人の物を買ったほうがよい。
そのほかはインプットとインターステージが切れているものを見たことがなかったから、すばらしい技術と思っている。インプットまで純鉄のコアだという人がいるがウエスタンの場合は最高のパーマロイで作ったインプットトランスを搭載している。

古いインプットインターステージの簡単な修理方法
切れた側に2、3kVの交流を瞬時にかける(1秒以内)。一回でつけば儲けものである。ただ、レアショートすることもある。2〜3回やってもつかない場合はあきらめて、また1500V以下のトランスでもだめであります。

アンプは壊れる
アンプのプレート電圧は1Vでも高いほうが音がよいと思うが、音もよく球も長生きさせようと思うと定格の6、7割以下で作るのが望ましいと思う。アンプの修理を生業としている友人Y市の天才N君曰く、MC、MZ、AL等のアンプは高速道路をビンテージカーで120kmで走っているようなものだと。いい例えだと思っている。当然100kmで走ると音が悪いわけだからしょうがない。
昔の輸出用なら50サイクルの巻き線があったはずだが、60サイクル用が並行物が大半なのでトランスのコアが2割足りない。当然発熱する。真空管アンプなら球、抵抗、コンデンサ、トランス、と変えればいいが、トランジスタアンプは素子が壊れた場合なかなか同じものがつくことが少ないらしい。
ハイエンド志向の100万以上したFETアンプを入力ジャックの抜き差しで私の目の前で壊した彼は2年経っても修理できないでいる。理由は1万個以上はメーカー選別した選りすぐりの石は世の中にないそうである。したがってもう1台出物が出るまでアンテナを立てて待っている(他人のアンプは修理するのに)。最近二台目を手に入れたそうである。
彼曰く10年過ぎたトランジスタアンプを買わないこと。同じ石がペアで手に入ることはまれで、設計者の意図に反するのだそうだ。なるべく電源を入れたときにウーファーが振れたり、信号回路に電解コンデンサが入ったりするのはだめだそうである。
私の知り合いでも大型の古いフロアシステムを買ったが低音が出ないそうである。磁石をチェックしたほうがよいかも。トランジスタアンプの調整の取れていないものは、スピーカーの磁力が減ることがある。

たくさん出てきたもの
今では部品しか輸入していないが、昔は月に2、3回は500kgくらいの荷物が飛行機でやってきた。取り留めのないものも多かったが業販も多かったので変なものでも大概売れた。ウエスタンなら555、必ず10個は一度にきたから値段も安かった。1個100ドルくらいで買っていたから555はドル箱だった。オリジナルのダイヤフラムを10万で、その他アルテックは5万、Wつきはプレミアもらって12万で買っていただいた。ホーンはあまり利益が出なかったので、数が少なかった。
不思議なことに555の場合はホーンの20倍に相当する量が出てきたので、ホーンは貴重品かもしれない。当時アルテックやJBL用のアダプターがかなり売れた。アンプなら46アンプ、1台20万とるのは苦しいと思ったがバラバラにすると簡単に20万を越した。25Bコンソールも1800ドルぐらいで案外きたから、ウエスタンでは儲けの頭になったとよく覚えている。
ドンガラの箱をくず屋の前に捨てていたが、当時でも捨て賃を取られた。この間、618Bがオークションで30万で売れたと、昔のお客さんがやってきて数万買ってくれた。がちょーん。

たくさん出てきたもの2
アルテックの1568、1569スピーカの288、515、ネットワークに604、どういうわけだかプロ用の映画館のシステムはいらないよいらないよというくらい珍しくなかった。その反対に全く出てこなかったものに、288-16、515B新型は現役だったのか使っていなかったのか民製ナンバーはとても高くて、買わなかった。JBLの375とともに日本のほうが安かった。アルテックのピアレスの角型ケース入りはまったく本当によく壊れる。電源、トランス、アウトプット、チョークトランス、壊れる代表選手だから当時のケースに入れたコールタールの質が非常に悪かったと思っている。
マッキントッシュのMC30、116等は壊れてないほうが多いから、IPC、アルテックを買いたいときはシャーシの中を必ず見よう。


MR.デビット・ヨー
一番古いアンプを集めてくれたのが、カリフォルニアのデビット・ヨー氏である。トランスが壊れてもても真空管が切れていても、 一度も返品しなかったから長い間かわいがってもらった。どういうわけだかM社のC氏の付き合いのほうが古かったようだが、 私のほうにいいものをまわしてもらった。
MCMZはY市のM氏が買って私のほうには回ってこなかったので、もうちょっと古い系 は20年前当時一番あったかもしれない。今でもマランツ7とマッキンの275は50台ずつは積んであるだろう。他のアメリカのブローカーは 何度行っても一緒に食事をおごってもらうことはなかったが、台湾出身の彼には随分世話になった。その代わり他より大分高かった。
一番面白かったのは、ラジオクラブのフロアマーケットでなんと昔のラジオの本を売りに来ていた人がブックエンドに使っていた 596ツイーターが100ドルだった。彼から100ドルもらった人は満面の笑みだった。彼から46アンプは600ドル、86アンプは1800くらい、 594のドライバーは2000ドルだが、ブックエンドのスピーカーは2個一万ドルだった。ツイーターは2個150万でN氏に売れた。
当時ウエスタンでツイーターが一番高かった。555は100なのに。

ビクターの蓄音機
今のアメリカの値段は昔はデビットから2000ドルくらいで買っていた。ある日ラジオクラブのメンバーの紹介でテキサス州のジェームス氏の店に行ってみた。屋号はOLDEN YEAR MUSICAL MUSEUM。
多分彼から蓄音機を仕入れている人は相当多かったんじゃないかと思われる。
蓄音機、自動オルガン、オルゴール、自動ピアノ、エジソン電球などを売っていた。体育館ほどの広さの部屋で数人が一生懸命色々直していた。今でもやっていると思うので、気になる方は問い合わせてみたらいいかもしれない。
非常に稀有な例にエジソンの蝋管器があって、唯一無二の日本が安かった例である。エジソンの蝋管器は当時日本で5万円ぐらいで買えたが、アメリカでは1500ドルした。これに次ぐのはJBLの375で日本のほうが安かったかもしれない。
ジェンセン製と書いて はいけないかも知れないが4181スピーカーの親のジェンセンのL18は8-30の3倍は大きい蓄音機についていた。50のPPがついていて、とても欲しかったが運送費が高いのであきらめた。
20年前当時は日本でもビクターの蓄音機は1、2万で買えたのに、蓄音機のブームが来て急速に骨董屋の前からなくなった。大概変な ピックアップがついている、8-30でもポータブルでもピックアップのリプロデューサーは大差がないから1、2万で買った人が相当 得をしたはずだ。
今は全く見かけないが、音がいい針は金色のタングステンの短い針だ。100回かけても針は全く減らない。支点までの距離が短いから 音が大きい。レコード1面で針交換は面倒くさい。
当時の彼の売値、自動ピアノ全部品つき修理なし物の価値はわからないが500ドル。 ビクターの蓄音機8-30、700ドル。デビットめ。

修理
マッキン、マランツなら修理の部品にこだわる気持ちはわかるが、業務用のアンプにはあまり同情心が沸かないのでなるべく新しい部品 を使ったほうがいいと思う。昔は少しマッキン、マランツを売ったことがある。なかには修理用にコンデンサーのペンキを書いている人もいたようだ(縦線の容量)。 マッキンの場合、大概マッキンラボの修理シールがついていた。
アンプのボリュームは古くなると必ずガリガリ 言うので心配になって交換しようと思うが、まず4連ボリューム、センター付きボリューム等はないだろうと。いい修理屋さんなら、 2個一、3個一で直すだろうからいいが、なかなか難しいときは思い切ってボリュームをいっぱいにまわした状態で真横の腹に1.5mm 位の穴を開けて、接点復活材でも入れてみて欲しい。
ダメもとだから。
多分相当な確率で直ると思う。

売れないアンプ
一番ウエスタンで人気がなかったのが、118アンプ。 パラプッシュなのが嫌われたのか、6台仕入れたのに売るのに半年以上かかった。 簡単なアンプだから、300Bに改造してようやく売れた。
アルテックの1569も人気がないから、300のPPに改造すると面白いと思う。 124アンプより故障はずっと少ない。

WE124アンプ
面白いなぁこの人。124アンプでいつも悩んでいる。 何回修理に出してもまともに鳴った試しがないらしい。 僕が売ったわけでも僕が触ったわけでもないのに毎月やってくる。 話題はいつも124アンプで、一回見せてもらったがとても汚い。 なんだか線が丸まって入っている。直してやるよというと、触らせない。 わかった!この人ってこうなんだ。

ひそやかな趣味
エンジョイの仕方は人様々である。 亡くなったI県のO氏、WEの部品を触っていると世にも妙なる音が聴こえてくるとか。 十年見ていないが町田のK氏、300Bの焼印を夜磨いているとか。
あなたならどうする?

車にオーディオ、カメラに時計に模型
これらは全部同じものであるとS氏に言うと、私は模型はやってないと言う。 模型でも自作真空管アンプは似たようなもんだと言うと、軽くあしらわれる。
対極のものはなんだろう?ゴージャスなもの、ロールスロイス、美女に観劇。
泣きたくなったから、もう寝よう。

カメラは苦手
三回買ったニコマート、T国に行く度に最後の晩に夜なくなる。 お酒が悪いんである。ニコンのF4、何かのトレードでU市のF氏から。 当然当方は使わないからプロのF君へ。F君感謝して、真空管を持ってやってきた。 良いトレードだと思ったが、いまだにあるぞ。
50万で売った予定のランシングの415と287のセット。 写真家のK氏に、K氏月末にハッセル持ってやってきた。 いとこの旦那にあげたら、汚いね、もっときれいに使ってよだって。
50万と一週間あったら世界一周すぐできる。ああ残念。

20倍掛けの御大
オーディオはいくらにでも化ける。 ある日、415と287のセット、オーディオショップSに40万で。 S氏曰く、「倉島君、これを僕は800万で売るよ。気にしないかね?」。ええ本当に気にしませんよ。二台7万で売っていたRA1474、なんと大台に乗っていたようである。 まあこのOUT、よく切れる。この場合全然協力したくない。 業務用のラインアンプ、改造例はたくさんあるだろうから、ぜひご自身で弄ってみたらいい。

25Bコンソール
塊で大物だから置くところがない。いつも真っ黒になってばらしていた。 いるのは本体と電源なのに、テーブルと足も飛行機に乗ってやってきた。 どうせ捨てるのに向こうの人の好意にこたえるために梱包してもらった。
このコンソール、実は一番儲かったので2000ドルで買って100万近くになった。 129:40、130:30、131:10、電源:10に5。 安いと思われるかもしれないが、同業者のI県のT氏との取引ではこれの6〜7掛けだった。 この電源20、トランスが3個に1台しか生きていなかったから不良率は相当なもの。
もっともこの電源、WEの部品はコンデンサ一つしかついていないから、 十万で売れたのは中についている真空管代金である。 129アンプのインプットは今では高い。618B、このマイクトランスが一番値上がった。 でも当時は30オーム付きの285のインプットは2倍の1個10万で売っていた。 全然レア度が違うので285タイプのマイクトランスは高かったのである。
当時高かったのは、111C。今なら2万で売っているが当時は300ドルで買っていた。8万程度で売っていたと覚えている。 197のラインアウトは本当によく切れる。O先生のところでよく見かけた。O先生、0.15ミリの線に電気を流したらたぶんそういうことになるだろうと。
当時、ワイヤーの音にこだわっていた人は少なかったから、 中の電線は買ってもらったときのサービス品であげていた。 昔は電線でお金を取らなかったので、一束欲しいといわれれば一万円でももらおうかと言ったところである。 ある日、知り合いがやってきて「このケーブル1mものペアで7万円で売っている」と。 一台に4〜50mは使ってあるだろうから、なんだかなぁ・・・。
この頃からウエスタンの電線が音が良いということになった。 最近、綿巻きの撚り線でめっきがかかっていないというのが良いようであるが、 あのウエスタンがそんな質の悪いものを作るわけがないので全く信じていない。
ただ、ウエスタンのスピーカーケーブルは1.6ミリの錫引き単線で(594まで)、 ゴム引き綿巻き仕上げで白黒に塗り分けられていたような記憶がある。 撚り線で見たことがあるものは、野外で使う720Aの類のものには撚り線が多かった。 ちなみに今のスプールには汎用と書いてある。スピーカーケーブル用と書いてあるものは見たことがない。 電線だから何に使ってもOKです。

グレートブリテン編
イギリスには20年前には年1回程行っていた。イギリスからの運賃には結構高かったので小物が多かった。モノを非常に大切にするのかバイク屋の店頭には直列4気筒の黒いバイクや、電気屋の店頭には真空管の212が飾ってあった。
信じられないだろうけどザイレックスで売っていたPX25のナス管は1970年代製。4212の中古は15ポンド、ビンテージワイヤレスで街中で見かけた4212の新品は400ポンド。
あの4212の新品は多分まだその当時作っていたんじゃないかと思っている。買わなかったSTCの101は400本くらいあったが、1本5ポンドだった。当時のレートで1500円ほどだから全然だめだった。だから入れるものの種類は少なかった。
ガラードもクオードもアメリカから買った方が安いくらいだった。値段はリークの50が100ポンド、クオード2が200ポンドほど、PM6の中古は100ポンドほどだったが、アメリカから買ったほうが安かった。

PM6とPM2
大きい磁石は高いイギリスで買うものは大体同じなんだがちょっとずつ違うものが多かった。ドイツの職人と同じでへそ曲がりが多かったと思う。ラジオクラブのミーティングでもフェランティのようなものは1個100ポンドだという。同じものは絶対に手に入らないから宝くじ並だと思っている。さて、当時のPM6とPM2の値段、想像がつきましたか?両方とも同じフレームで同じコーン紙、プライスはPM6が68ポンド、PM2が400ポンド。信じられますか?

取り逃がしたパルメコ
ケントのPMコンポーネンツが放送局用の払い下げ品を売っていた。当時型遅れで買う人もいなかったからとても安かった。体育館ほどの広さのところに箱入りの15インチのパルメコ・ガラード301のプロ版が50台ずつあった。
とても安くてどれも15ポンドだった。
リークのアンプのプロ版もあって、同じくらいだった。たくさんあったのでこの次に買おうとしたら、無くなっていた。
運賃は品物の10倍はしただろうが買った人は笑いが止まらなかっただろう。その後すぐ50万ぐらいで売られていたのも覚えている。パルメコはその後ジョンから少し入手したが、あまりコンディションが良くなかった。
ガラードのプロ版には変わったアームがついていたので買った人は苦労しただろう。

ペアにならない
ジョン・ベーカーからいろいろなものを買ったがペアになったのは民生のアンプのクオードとリークぐらい。18インチのウーハーもあったがきれいな物がなく、気候も悪いのかあまりいい思いをしなかった。アルテックの288のコピーのようなドライバーは案外見つけたが、一つ一つよく見るとフェイズプラグも違うし・色も違うし・ヨークの厚みも違う。
4つで1000ポンドだったボイトの箱入りも全部違っていたから、もしペアで買えた人がいたら相当ラッキーさんかも。
ジェンセンのL18と13インチの4151と同じようなスピーカーはドイツでも見かけた。同じようなシステムは世界中にあったのかもしれない。

12AX7
今ではギターのお兄さんが12AX7でこだわるが20年前はテレフンケンしか売れなかった。ソ連の物が嫌いだったせいで(今はそうでもない)毛嫌いしていた。当然RCAの12AX7を買うわけだが15ドルもする。当時4桁番号のMT管は1ドルするものがなかったから、スクラップ同然だった。ソ連のものはイギリスから来て40ペンスだったから100円。
RCAは小売価格が1800円の時代に仕入れ価格が2000円近く。テレフンケンは5ドルだった。
だから今でもRCAが好きなんだ。

スクラップ
中国が世界の技術をタダで集めるせいか全てのジャンクがここに来る。世界一の材料集めの集積場である。ソ連の空母・海洋博のリグ・見たこともない某日本製映画館用真空管アンプ・品数の厚みは驚くほどだろう。多くはリサイクルされる。
オーディオも例外でなく例のコンデンサがついているから黙って捨てたつもりでも、相当量がリサイクルされるのは間違いがない。WEの131アンプも相当へこんだものを香港で見かけたから、25Bコンソールごとスクラップになったと思う。
買う量が倉庫ごととかスクラップの山ごと買うから、ピラミッドの下のほうにはお宝が埋まってるんだと思っている。日本でもN商会のI県の商品置き場、地元の人はごみだと思ってるに違いないが、ジェット機やらヘリコプターやらあるから面白いオブジェに見える。
下のほうにナイキのシステムというものが埋まっていて取れない。取ると上が崩れてしまうので山ごと買うしかないだろう。ナイキのコントローラーはWE製だから相当量ここから出てきた。
多分またこれは香港経由で買えるかもしれない。香港で見かけた倉庫いっぱいのWEワイヤー・いろいろな測定器、アメリカでは全然見ないから砂漠のピラミッドのなかにはまだまだあるんだろう。WEの92アンプ120・131etc etc etc…
アメリカのロスにいるブローカーでも見つけられないのだからどこから出てくるのか見当もつかない。ただ、アメリカは3、4年前にスクラップの輸出を禁止したそうである。

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